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カルタゴ遺跡 ~ 古代ローマと地中海の覇権をめぐって争ったフェニキア人の国

前回は、
シチリア島の古代ギリシャの植民都市セリヌンテについて書きましたが、

今度は、
そのセリヌンテを滅ぼしたカルタゴについて、書いてみたいと思います。


カルタゴは、紀元前9世紀頃から、
アフリカの北端、今のチュニジアの首都チュニス辺りを中心に、
海洋交易で栄えた、フェニキア人の国だったようです。

(ビュルサの丘から、古代カルタゴの軍港跡を臨む)

かつてのカルタゴの中心、ビュルサの丘から、
海軍力を誇った軍港跡が見えます。

写真奥の緑に囲まれた丸い入り江が、軍港跡です。

カルタゴ博物館に、古代カルタゴの想像図がありました。

(古代カルタゴの想像図、カルタゴ博物館より)

円形の軍港に繋がって、商業港もあったようです。

紀元前5世紀頃には、
カルタゴは、海洋交易と強力な海軍力で、地中海を席巻します。


しかし、
地中海の要所であったシチリア島をめぐって、
度々ローマと争います。

そして、紀元前2世紀に、
ついにローマに破れ、

カルタゴの街は、徹底的に破壊され、焼き尽くされ、
草木も生えないようにと、塩まで撒かれたそうです。

人々も多くが殺され、残った者も奴隷にされたようです。

(古代カルタゴの中心、ビュルサの丘)

なので、古代カルタゴの痕跡は、少ないようですが、
ビュルサの丘では、発掘された住居跡が見られます。

(ビュルサの丘の、古代カルタゴの住居跡)

その後、カルタゴは、ローマの属州となり、
再び、ローマの主要な植民都市として繁栄します。

テルマエ・ロマエでおなじみの
ローマの公衆浴場(アントニヌス浴場)の跡があります。

(アントニヌス浴場跡)

この中を自由に歩くことが出来ます。


かつて、広い敷地内にさまざまな趣向を凝らした、
大型スパであったことが、うかがえ知れます。

ローマ帝国内でも、3番目の最大級の規模だったとか。


この辺り、古代カルタゴのあった地区は、
今では、閑静な住宅街になっているようです。

(ビュルサの丘から、海へ下っていく街並み)

(2014.7月 撮影)

 

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